11月1日―11月12日までロンドンのDavid Levauxによる演出家のための演劇ワークショップのために東京に滞在します。また11月13日―18日までモスクワの演劇芸術スタジオのSergey Zhenovachの演劇ワークショップのため名古屋に滞在します。
I visit Tokyo from 1st to 12nd November to participate in Theatre director’s workshop by David Leveaux from London. Then I stay in Nagoya from 13th to 18th November to participate in Theatre director’s workshop by Sergey Zhenovach from The theatre art studio in Moscow.
I visit Tokyo from 1st to 12nd November to participate in Theatre director’s workshop by David Leveaux from London. Then I stay in Nagoya from 13th to 18th November to participate in Theatre director’s workshop by Sergey Zhenovach from The theatre art studio in Moscow.
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また国際演劇交流セミナー2013 ドイツ特集(福岡会場)に関する感想を書きます:
今回のセミナーはアーサー・ミラー『セールスマンの死』を読んで、ドイツ人演出家、マルコ、アメリカ演劇研究者、日比野啓先生や参加者とブレインストーミング(以下、ブレスト)という形式で語り合い、最終日には演出プランを発表するというものだった。
しかし、総合担当が考えたと思われるブレストは機能していなかった。なぜなら、まずキーワードを戯曲から抜き出したり、演劇は何のためにあるかといったブレストの問題設定が大雑把すぎてそこから有益な演劇的知を学ぶことができなかったからである。つまり総合担当が福岡で国際交流セミナーを企画する際にまず行わなければならなかったことは、福岡でどのような作品が上演されているか?福岡の劇団、大学、専門学校などの演劇教育はどのようなものか?福岡の演劇実演家がどのような教育を望んでいるか?だったのではないでしょうか。つまり今回の国際交流セミナーは福岡での地域演劇の実情を全く理解せずに企画されていたので、ほとんどセミナーから学ぶものがありませんでした。マルコの演出プランもポスト・ドラマ演劇と呼ばれるものの一つで主人公と一人の観客が町をドライブして戯曲の断片を見るというものでした。しかし福岡に住んでいると、まともな日本やヨーロッパの近代劇を見る機会や学ぶ機会はありません。つまりポスト・ドラマ演劇よりドラマ演劇(近代演劇)をマルコから学んだ方がより実りのある講座になったと思います。たとえば私も5回滞在したドイツでは小さな町でも、ルネッサンス劇や近代劇が精度の高い近代劇的演技術(たとえばスタニスラフスキー・システム)で上演されるのは普通です。マルコの卒業したオットー・ファンケンブルグ演劇学校を始めとする約15存在するドイツの州立演劇学校の演技・演出学科ではスタニスラフスキー・システムを演劇の基本として教えています。マルコから私たち福岡の演劇人が学ぶべきだったことはその近代演劇の基本であるドイツにおけるスタニスラフスキー・システムであったはずです。ちなみにマルコは福岡の演劇や社会にとても興味を持っていたので、マルコが福岡の演劇や社会について理解する時間を講座の進行をしていた総合担当には十分にとってもらいたかったです。講師や総合担当が地域の社会や演劇について知ってはじめてセミナーが実りあるものになるでしょう。芸術家と市民が理解しあうための対話によって文化行動が行わなければならないとパウロ・フレイレは『被抑圧者の教育学』の中で語っています。この対話が行われずに文化行動が行われると文化侵略になるとフレイレは警告しています。
しかし、日比野先生の『セールスマンの死』を歴史の観点やユダヤ性から観る講義は大変勉強になりました。また最終日のマルコのレッシングの話やなぜ観客の体験を重視するポスト・ドラマ演劇が現在ドイツで重要という講義の2日間だけは役にたちました。つまり私の今回の国際演劇交流セミナードイツ特集 福岡会場の感想をまとめるともっと福岡の演劇人がヨーロッパの近代演劇を学ぶ機会を作る場にしてほしかったということです。なぜなら福岡ではスタニスラフスキー・システムをはじめとするヨーロッパや日本の近代演劇を実演家が学ぶ場がないからです。
今回のセミナーはアーサー・ミラー『セールスマンの死』を読んで、ドイツ人演出家、マルコ、アメリカ演劇研究者、日比野啓先生や参加者とブレインストーミング(以下、ブレスト)という形式で語り合い、最終日には演出プランを発表するというものだった。
しかし、総合担当が考えたと思われるブレストは機能していなかった。なぜなら、まずキーワードを戯曲から抜き出したり、演劇は何のためにあるかといったブレストの問題設定が大雑把すぎてそこから有益な演劇的知を学ぶことができなかったからである。つまり総合担当が福岡で国際交流セミナーを企画する際にまず行わなければならなかったことは、福岡でどのような作品が上演されているか?福岡の劇団、大学、専門学校などの演劇教育はどのようなものか?福岡の演劇実演家がどのような教育を望んでいるか?だったのではないでしょうか。つまり今回の国際交流セミナーは福岡での地域演劇の実情を全く理解せずに企画されていたので、ほとんどセミナーから学ぶものがありませんでした。マルコの演出プランもポスト・ドラマ演劇と呼ばれるものの一つで主人公と一人の観客が町をドライブして戯曲の断片を見るというものでした。しかし福岡に住んでいると、まともな日本やヨーロッパの近代劇を見る機会や学ぶ機会はありません。つまりポスト・ドラマ演劇よりドラマ演劇(近代演劇)をマルコから学んだ方がより実りのある講座になったと思います。たとえば私も5回滞在したドイツでは小さな町でも、ルネッサンス劇や近代劇が精度の高い近代劇的演技術(たとえばスタニスラフスキー・システム)で上演されるのは普通です。マルコの卒業したオットー・ファンケンブルグ演劇学校を始めとする約15存在するドイツの州立演劇学校の演技・演出学科ではスタニスラフスキー・システムを演劇の基本として教えています。マルコから私たち福岡の演劇人が学ぶべきだったことはその近代演劇の基本であるドイツにおけるスタニスラフスキー・システムであったはずです。ちなみにマルコは福岡の演劇や社会にとても興味を持っていたので、マルコが福岡の演劇や社会について理解する時間を講座の進行をしていた総合担当には十分にとってもらいたかったです。講師や総合担当が地域の社会や演劇について知ってはじめてセミナーが実りあるものになるでしょう。芸術家と市民が理解しあうための対話によって文化行動が行わなければならないとパウロ・フレイレは『被抑圧者の教育学』の中で語っています。この対話が行われずに文化行動が行われると文化侵略になるとフレイレは警告しています。
しかし、日比野先生の『セールスマンの死』を歴史の観点やユダヤ性から観る講義は大変勉強になりました。また最終日のマルコのレッシングの話やなぜ観客の体験を重視するポスト・ドラマ演劇が現在ドイツで重要という講義の2日間だけは役にたちました。つまり私の今回の国際演劇交流セミナードイツ特集 福岡会場の感想をまとめるともっと福岡の演劇人がヨーロッパの近代演劇を学ぶ機会を作る場にしてほしかったということです。なぜなら福岡ではスタニスラフスキー・システムをはじめとするヨーロッパや日本の近代演劇を実演家が学ぶ場がないからです。
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