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ロシア、サンクトぺテルブルグで演劇の演出を学んでいます。ロシアの演劇学校の授業内容。さらに、ロシアを中心としたヨーロッパ演劇の現状についてお伝えします。
演劇アカデミーの夏休みの宿題とアートマネジメントの話。また日本の世代間格差
皆様、おそらく前の更新から3カ月以上たったので、私のブログについてお忘れになった方もいらっしゃると思います。現在、ペテルブルグから夏休みのため福岡に帰国しています。ペテルブルグよりも湿度は高いですが、気温はほぼ同じです。福岡は大気汚染がペテルブルグのようにひどくないので、よりすごしやすいと言えるでしょう。

私のブログは基本的にペテルブルグの演劇学校のプログラムとヨーロッパ演劇の現在についてお伝えするものなので毎日更新される日記とは少し正確がちがうと考えています。

さて6月は後半の2週間は演劇学校の授業を欠席し、ザルツブルグでペーター・シュタイン演出のオペラ『マクベス』の稽古を見学させていただきました。ヨーロッパ最高水準のオペラ・フェスティバルで最高のキャストとスタッフによる稽古の見学は本当に勉強になりました。しかし、西ヨーロッパでは著作権に関する法が厳しいのでこのブログで、シュタインの稽古に関してはあまり書けません。本当に聞きたい人がいらっしゃれば私に直接お尋ねください。少しだけ書くと、どうすれば民主的なアンサンブルを稽古場・劇場で実現できるか?どう一人一人の歌手、スタッフ、エキストラに接するか?どこまで正確に作曲家・作者の演出演技上の意図を作品から読み取れるか?を私はシュタインから学ぶことができた。演劇を始めて私は今年で18年目です。この18年間で最も多くそして、深く演劇についてを学んだ2週間だった。

さて、ペテルブルグ演劇アカデミーの夏休みは7月1日から8月22にちまでですが、その間に以下の宿題が出ています:
①ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』全5巻
②ショーロホフ『静かなドン』全8巻
③ホメロス『イリアス』2巻
④喜劇1作品
⑤トルストイ『幼年時代』『少年時代』『青年時代』
⑥ロシア銀の時代(1905-1910)の詩約12作品
⑦プーシキン『エフゲニー・オネーギン』
⑧ロートマン『エフゲニー・オネーギンの注釈』
⑨ミハイル・チェーホフ『演技者へ』

これをすべて読まねばならないので、毎日本を読む夏休みです。ロシアでは俳優・演出家は莫大な読書をこなさねばなりません。これもスタニスラフスキーの考えである「俳優や演出家は自分たちが上演する作家と対抗できる世界観を持たねばならないという」考えからきているのでしょう。とにかく私たち学生にとっては読書の夏です。

今日は少し日本で私が演劇をすることと演劇と経済や社会環境についても書いておきます。
福岡で批評やをやっているひとまた福岡の制作者から、「早く劇団をたちあげて作品を創れ」、「演劇現場の人間は結果すなわち上演がすべて」ということを1年前に言われました。つまりロシアにいる時間が長すぎるということです。これにつては疑問に思う。その理由は私は現在、このブログに書いてきたとおり演劇の基本を学ぶためにペテルブルグ演劇アカデミーで学んでいます。私のコースは4年過程であり、私は現在、1年目を終えた段階なのです。最低でも後1年か2年はペテルブルグで学びたいと考えています。日本の20代、30代の若手演劇人に早く作品を創れと言っている60・70代の批評家は基本的に演技の基礎ができてなければ芸術的水準がたかい演劇作品の制作は不可能だということが分かっていないと思う。私はここにも日本の世代間格差が反映していると思う。60代、70代の人間からすれば、作品を継続的に制作できない若手は情熱がないということになる。しかも60以上の地元で批評をやっている人たちは定年まで会社勤めをしてきたのに「今の若い連中は情熱がない」という論理になる。しかし、高度成長期の企業における出世と現代の小劇場の演出家や俳優の社会的地位を比べて出世の優劣を言うのは論理的ではない。現在の若者は社会的目標がはっきりしていた(大企業に入って出世することが幸せだった)80年代までの若者とは置かれている環境が違うからだ。

この20-45歳まで(バブル崩壊以降に社会に出た世代)と45歳以上(バブル以前に社会人になった世代)の日本における価値観や意識の相違はこれから日本が解決すべき最も大きな問題の一つだろう。現在リーマンショック以降の経済危機でイギリスの若者がデモを行ってそれが暴動に発展している。私は暴力で社会システムを変更するのには反対だ。しかし、現在のイギリスの若者のデモや暴動をみていると発言する機会の少なさが暴力的でデモを生んでいると思う。数年前のフランスの移民たちの暴動でも若い世代による私有物の破壊行動が見られた。しかし、ルモンド・ディプロマティック等のフランスの政治紙は「車に移民の若年たちが放火したが、そのことによって人は一人も死んでいない。問題があるところに火をつけることはフランス革命以来の伝統だ」と若者の行動を評価していた。私が舞台を見るために渡航した国、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリアを見ても日本の若者が最もおとなしいと感じる。日本の若者は45以上の世代から否定的意見を言われてもずっと黙っているのだ。だから日本の上の世代は若者批判を続ける。イギリスやフランスの若者と同じように日本の若者は上の世代に対して意見を言わなければならない。「私たちは怠け者だから安定した雇用につけるわけではない。上の世代が今の若者を短期雇用でバブル崩壊以降使い捨てにして、上の世代が利益を得るために現在の若者を利用しているのだ。若者にもっと社会に参加する機会を与えてください。」と。

実質、英仏独などの先進国は無料で若者だけでなく失業者に職業訓練を行い、終業まで面倒をみるというシステムが確立されている。しかし、日本は一度新卒で就職できなければ一生不安定な雇用に甘んじるとう現実がある。そろそろ日本の年長世代は若者批判をやめるべきである。無意味な若者批判は日本のたんなる恥ということに気づくべきだ。若者が未来を描けない社会は無力な社会だからです。

今日の話題はもう一つ、日本における文化政策です。
現在、劇場法の議論の中で日本にも約2000の公共劇場のうち約5%を創造型劇場にして、芸術監督、経営監督、技術監督を置くという問題提起がなされています。私はこの考え方に基本的に賛成しています。日本の劇場で演劇の専門家を雇用するといことを法で決めるのは素晴らしいことだからです。いままで、日本の劇場には演劇の専門家が雇用されていなかったので。

このように劇場法の議論など日本の文化政策はずいぶん前進したところもありますが、現在までの日本の行政の演劇政策はあまりに箱もの中心すぎたことがある。私は福岡市の演劇政策が発展しない理由として(たとえば、福岡市には公的演劇学校が無い。演劇専門の芸術監督がいる中劇場がない。)市の担当行政官から市と国は金がないとう事を聞いてきました。しかし、最も公的劇場制度が充実しているドイツでさえ、各劇場に対する州政府(ドイツはナチスの反省から国ではなく州からの助成を行っている)の助成額は多くても年間20億円です。年間20億円の予算で、芸術監督、経営監督、技術監督、約50名の俳優、150人の制作・技術スタッフを常勤で3-5年契約で常勤雇用できるのです。20億という額は日本の箱もの文化政策と比べると少ない金額です。たとえば、福岡市の博多座は建築費に約356億ほど使っていると朝日新聞が報じていました。さらに演劇の芸術的専門家(演出家・俳優)が雇用されていず、基本的に中央の商業演劇制作会社の営利追及のために市の文化予算から博多座に5億円以上が使われているのです。これは文化だけではないですが、文化施設も建設予定と聞いた福岡のアイランドシティーには約4600億の公的資金が使われているのです。(これらの額は完璧に覚えていないので知っている人は教えてください)私たち日本の市民はお金がないから演劇を支援できないという行政の常套句に騙されてはいけない。行政が箱ものに無駄にお金をつかったから、現在の日本の劇場は演劇の専門家を雇用する経済的余裕を結果的の失っているだけなのです。

今日の議論を要約すると、ロシアでは俳優・演出家は作家に匹敵できる世界観を持たねばならない。日本の社会の若者に対する無制限な批判は単なる恥である。日本の文化政策は箱もの中心を止めて現場の人材育成と専門家の雇用に予算を回すべきだということです。

次回はペテルブルグにおけるヨーロッパ各国の演劇政策と日本の外務省の文化政策の違いについてできれば書きたいと思っています。
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