皆様、ご無沙汰しています。
さて、ペテルブルグの現在の気温は14度です。今日は一日快晴でした。11月から3月まで一面の銀世界と曇天だったのが嘘のようです。
4月12日から17日まで約一週間、ペテルブルグではヨーロッパ演劇賞とヨーロッパ賞新演劇的現実の二つの演劇賞を授与する演劇フェスティバルが開かれました。記者用のフェスティバルに関する資料を持っているのですが読む時間がないので理解していいる範囲で簡単にフェスティバルにいついて説明します。このフェスティバルはヨーロッパ劇場連盟、演劇批評家国際連盟、国際演劇機関ユネスコ、ヨーロッパフェスティバル連盟が中心となって運営されています。その年ヨーロッパでもっとも高い水準の舞台活動をした演劇人にヨーロッパ演劇賞が与えられます。ヨーロッパ新演劇的現実はその年ヨーロッパに新しい演劇の流れを生み出した比較的若い演劇人に与えらます。今年、ヨーロッパ演劇賞はペーター・シュタインが獲得しました。ヨーロッパ賞新演劇的現実は6つの個人と団体に与えられました。私はあまりヨーロッパ賞新演劇的現実の舞台に関心しませんでした。例外的にケーティ・ミッチェル(彼女の舞台は上演されなかった。授賞式とシンポジュウムのみの出席だった。)とアンドレイ・マグーチーには興味を持った。しかし、ヨーロッパ演劇賞のペーター・シュタインの舞台は以前から興味があり多くを見ていたし、今回の舞台『壊れ瓶』と『ファウスト』も問題もあったがかなりよい舞台だった。
ペーター・シュタインは次の舞台が2作上演された:
①クライスト作シュタイン演出『壊れ瓶』ベルリーナー・アンサンブル制作
②ゲーテ作シュタイン演出出演『ファウスト』ヨーロッパ演劇賞制作、シュタインのリーディング
①ドイツの村の裁判官が自分が村娘を夜這いしようとして娘の母の瓶を壊してしまう。疑われた娘の婚約者が裁判にかけられるが新しい証言人の発言で裁判官自信が犯人だったと暴露される戯曲である。シュタインの演出のすごいところは、ドイツ語での上演にも関わらず、ロシア人の観客にもテクストの意味がしっかりと伝わっていることだ。こういう舞台は簡単なようでいて実は巨匠にしか作れない。俳優が本当に言葉を理解し、体をつかって台詞を話しているからこそ可能なのである。また、シュタインの舞台では俳優が相手の台詞を聞いて答えるという基本をほんとうにちゃんとやっている。このことも簡単なようでいて難しいことである。装置、照明、音響もまるで18世紀のドイツの田舎町に観客が迷い込んだようにリアルなのである。シンポジウムでロシアで唯一シュタインの研究書を出版したニコライ・コリャージン氏が、シュタインは1960年代にスターリニズムで破壊されたスタニスラフスキーをベルリンのシャウビューネで復活させてたと仰っていたのも納得できた。
さて、ペテルブルグの中心にあるスタニスラフスキー記念俳優の家で行われたペーター・シュタインのシンポジウムではヨーロッパを代表する研究者、批評家、制作者、シュタインと働いた俳優が話をした後、司会のペーター・イーデン氏がシュタインを舞台に読んでシュタイン本人がスピーチした。シュタインは自分が演劇活動をしてきたなかで、主に担った3つのことがあると言っていた。第一にシャウビューネで俳優とスタッフがシュタインも含めてすべてを決める民主的な劇場運営を行ったこと。演出家は俳優に怒鳴らないでやさしく演出するのが大切であると言っていた。第二にアイスキュロス『オレステア3部作』のドイツ語訳をシュタインは上手にやって第2版まで販売できた。第三にシャウビューネ時代から現在までいつも公演に必要な巨額な製作費を集めてきた。これらの3点をシュタインは強調していた。シュタインの舞台上での存在感はすさまじいものがあり、一度シュタインが話し始めるとそれまで話していたパネリストたちは中学校の生徒のように萎縮していた。
私はシュタインの舞台をヨーロッパ中飛行機で飛びまわって今まで観てきた。今回このシンポジウムの後にシュタインと話をすることができた。そして、シュタインがザルツブルグフェスティバルのために演出するオペラ『マクベス』稽古見学をさせていただくことになった。そんなわけで、6月はオーストリアに少し行ってきます。私はこういう生活をしているので福岡の批評をやっている人から贅沢だとよく言われるのだが、私が外国語を使うことができなければヨーロッパでの演劇活動も無理なわけである。残念ながら語学力は金では買えない。こればかりは血のにじむような努力をしなければどんな人でも身に付かないのである。贅沢だから海外で演劇活動ができない演劇人は日本で貧乏自慢をしていれば良いような気がする。
今回はアカデミーの授業について書けなかった。次書きます。
さて、ペテルブルグの現在の気温は14度です。今日は一日快晴でした。11月から3月まで一面の銀世界と曇天だったのが嘘のようです。
4月12日から17日まで約一週間、ペテルブルグではヨーロッパ演劇賞とヨーロッパ賞新演劇的現実の二つの演劇賞を授与する演劇フェスティバルが開かれました。記者用のフェスティバルに関する資料を持っているのですが読む時間がないので理解していいる範囲で簡単にフェスティバルにいついて説明します。このフェスティバルはヨーロッパ劇場連盟、演劇批評家国際連盟、国際演劇機関ユネスコ、ヨーロッパフェスティバル連盟が中心となって運営されています。その年ヨーロッパでもっとも高い水準の舞台活動をした演劇人にヨーロッパ演劇賞が与えられます。ヨーロッパ新演劇的現実はその年ヨーロッパに新しい演劇の流れを生み出した比較的若い演劇人に与えらます。今年、ヨーロッパ演劇賞はペーター・シュタインが獲得しました。ヨーロッパ賞新演劇的現実は6つの個人と団体に与えられました。私はあまりヨーロッパ賞新演劇的現実の舞台に関心しませんでした。例外的にケーティ・ミッチェル(彼女の舞台は上演されなかった。授賞式とシンポジュウムのみの出席だった。)とアンドレイ・マグーチーには興味を持った。しかし、ヨーロッパ演劇賞のペーター・シュタインの舞台は以前から興味があり多くを見ていたし、今回の舞台『壊れ瓶』と『ファウスト』も問題もあったがかなりよい舞台だった。
ペーター・シュタインは次の舞台が2作上演された:
①クライスト作シュタイン演出『壊れ瓶』ベルリーナー・アンサンブル制作
②ゲーテ作シュタイン演出出演『ファウスト』ヨーロッパ演劇賞制作、シュタインのリーディング
①ドイツの村の裁判官が自分が村娘を夜這いしようとして娘の母の瓶を壊してしまう。疑われた娘の婚約者が裁判にかけられるが新しい証言人の発言で裁判官自信が犯人だったと暴露される戯曲である。シュタインの演出のすごいところは、ドイツ語での上演にも関わらず、ロシア人の観客にもテクストの意味がしっかりと伝わっていることだ。こういう舞台は簡単なようでいて実は巨匠にしか作れない。俳優が本当に言葉を理解し、体をつかって台詞を話しているからこそ可能なのである。また、シュタインの舞台では俳優が相手の台詞を聞いて答えるという基本をほんとうにちゃんとやっている。このことも簡単なようでいて難しいことである。装置、照明、音響もまるで18世紀のドイツの田舎町に観客が迷い込んだようにリアルなのである。シンポジウムでロシアで唯一シュタインの研究書を出版したニコライ・コリャージン氏が、シュタインは1960年代にスターリニズムで破壊されたスタニスラフスキーをベルリンのシャウビューネで復活させてたと仰っていたのも納得できた。
さて、ペテルブルグの中心にあるスタニスラフスキー記念俳優の家で行われたペーター・シュタインのシンポジウムではヨーロッパを代表する研究者、批評家、制作者、シュタインと働いた俳優が話をした後、司会のペーター・イーデン氏がシュタインを舞台に読んでシュタイン本人がスピーチした。シュタインは自分が演劇活動をしてきたなかで、主に担った3つのことがあると言っていた。第一にシャウビューネで俳優とスタッフがシュタインも含めてすべてを決める民主的な劇場運営を行ったこと。演出家は俳優に怒鳴らないでやさしく演出するのが大切であると言っていた。第二にアイスキュロス『オレステア3部作』のドイツ語訳をシュタインは上手にやって第2版まで販売できた。第三にシャウビューネ時代から現在までいつも公演に必要な巨額な製作費を集めてきた。これらの3点をシュタインは強調していた。シュタインの舞台上での存在感はすさまじいものがあり、一度シュタインが話し始めるとそれまで話していたパネリストたちは中学校の生徒のように萎縮していた。
私はシュタインの舞台をヨーロッパ中飛行機で飛びまわって今まで観てきた。今回このシンポジウムの後にシュタインと話をすることができた。そして、シュタインがザルツブルグフェスティバルのために演出するオペラ『マクベス』稽古見学をさせていただくことになった。そんなわけで、6月はオーストリアに少し行ってきます。私はこういう生活をしているので福岡の批評をやっている人から贅沢だとよく言われるのだが、私が外国語を使うことができなければヨーロッパでの演劇活動も無理なわけである。残念ながら語学力は金では買えない。こればかりは血のにじむような努力をしなければどんな人でも身に付かないのである。贅沢だから海外で演劇活動ができない演劇人は日本で貧乏自慢をしていれば良いような気がする。
今回はアカデミーの授業について書けなかった。次書きます。
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現在、ペテルブルグの最高気温は+10度です。かなり暖かくなってきました。ネヴァ河の氷もほとんど溶けていました。
アカデミーの演技の授業で今週ソルジェニーチン作『イヴァン・デニーソヴィッチの一日』からエチュードを創って発表します。私はロシア語で即興の台詞を言うのが大変なので、小説の中の台詞を暗記して稽古に臨みます。これが大変です。日本語の台詞の暗記の30倍ぐらいつらい・・・。
さて昨日の土曜日は、ペテルブルグ露日友好協会の依頼で、ペテルブルグの小中学生に対して、現代日本演劇史の講義を行いました。しかも時間はたった45分。しかし、築地小劇場、文学座、早稲田小劇場、新国立劇場のことを「何故演劇がこの世に必要なのか」という観点から話しました。私のロシア語が完璧ではなかったので途中から協会のスタッフが通訳してくれて、ロシア人の生徒たち(彼らは日本語と日本の文化を協会で勉強しています)に話の内容は伝わったかなと思っています。私としては演劇は新聞やテレビには伝えられない世界の真実をアイロニーという間接的な手段ですが、伝えられる最も効果的なメディアであるということが伝われば、詳細な歴史の情報は伝わらなくてもかまわないと思っていました。最後に、井上ひさし作、黒木和雄監督の『父と暮らせば』の一部を露日対訳台本を配って照らし合わせながら見せたのですが。子供たちは興味を持って映画を観てくれていたと思います。大変だってけれど日露演劇交流に少しだけ貢献できた一日でした。
では、皆様、お身体を大切に。
アカデミーの演技の授業で今週ソルジェニーチン作『イヴァン・デニーソヴィッチの一日』からエチュードを創って発表します。私はロシア語で即興の台詞を言うのが大変なので、小説の中の台詞を暗記して稽古に臨みます。これが大変です。日本語の台詞の暗記の30倍ぐらいつらい・・・。
さて昨日の土曜日は、ペテルブルグ露日友好協会の依頼で、ペテルブルグの小中学生に対して、現代日本演劇史の講義を行いました。しかも時間はたった45分。しかし、築地小劇場、文学座、早稲田小劇場、新国立劇場のことを「何故演劇がこの世に必要なのか」という観点から話しました。私のロシア語が完璧ではなかったので途中から協会のスタッフが通訳してくれて、ロシア人の生徒たち(彼らは日本語と日本の文化を協会で勉強しています)に話の内容は伝わったかなと思っています。私としては演劇は新聞やテレビには伝えられない世界の真実をアイロニーという間接的な手段ですが、伝えられる最も効果的なメディアであるということが伝われば、詳細な歴史の情報は伝わらなくてもかまわないと思っていました。最後に、井上ひさし作、黒木和雄監督の『父と暮らせば』の一部を露日対訳台本を配って照らし合わせながら見せたのですが。子供たちは興味を持って映画を観てくれていたと思います。大変だってけれど日露演劇交流に少しだけ貢献できた一日でした。
では、皆様、お身体を大切に。
みなさま、お久しぶりです。新年のご挨拶もせず、大変失礼しました。
12月から2月にかけて短期間の休みを2回利用して、パリ、ベルリンへ行きました。
パリでは、ピーター・ブルック、太陽劇団、シェロー、そして、ベルリンではペーター・シュタイン、タールハイマー、オスターマイアーの新作を観ました。
また、1月中旬に一時ぺテルブルグに帰国した際に、氷上で転んで靭帯の部分断絶をして2月いっぱいは身体訓練ができない状態です。
ちなみに、2月9日から2学期が始まりました。
先日の日曜に、あまりに寒かったので布団を買うために郊外のイケアにいったのですが、イケアの無料バスに乗る際に、スリにあって手帳をとられました。被害は手帳だけですが、その中の私の個人情報を変えるのにこの2日はかかりました。多少混乱していますが、これも経験と思っています。スリ程度で困っていてはロシアでは生きていけないからです。
気候や危険に慣れるのもロシア留学では必要な過程だと思っています。
ということで、今回はまだトラブル解決のこともありますのでこの辺で失礼します。
12月から2月にかけて短期間の休みを2回利用して、パリ、ベルリンへ行きました。
パリでは、ピーター・ブルック、太陽劇団、シェロー、そして、ベルリンではペーター・シュタイン、タールハイマー、オスターマイアーの新作を観ました。
また、1月中旬に一時ぺテルブルグに帰国した際に、氷上で転んで靭帯の部分断絶をして2月いっぱいは身体訓練ができない状態です。
ちなみに、2月9日から2学期が始まりました。
先日の日曜に、あまりに寒かったので布団を買うために郊外のイケアにいったのですが、イケアの無料バスに乗る際に、スリにあって手帳をとられました。被害は手帳だけですが、その中の私の個人情報を変えるのにこの2日はかかりました。多少混乱していますが、これも経験と思っています。スリ程度で困っていてはロシアでは生きていけないからです。
気候や危険に慣れるのもロシア留学では必要な過程だと思っています。
ということで、今回はまだトラブル解決のこともありますのでこの辺で失礼します。
今日からブログを始める。 9月15日に福岡をたち。コペンハーゲン経由でサンクトぺテルブルグ入りする。これから約3年の間、舞台演出を学ぶ留学が始まるのである。今週はその準備に追われた。特に露、仏、独、英語の電子辞書のデータ管理やデジタルカメラ等の電気製品を購入して環境を整えるのが苦手なだけにだいぶ時間を使ってしまった。しかし、電子メディアの管理も一段落した。5・6月の独・英・仏演劇学校見学の後の各学科長への礼状が2か月後になってしまい失礼した。これらはもっと効率よく仕事をしたい。いつも思っていることだが。
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