現在サンクトペテルブルグはマイナス3度です。今日は「おまえはロシアになんぞ演出を学ぶために留学していて贅沢だ」という批判にこたえて、私がペテルブルグでの演劇留学にいくらお金を使っているか公開します。
私が受けている科目は、舞台演出、舞台演技、発声、ダンス、舞台動作、アクロバット、声楽、ロシア語です。授業は週6日で基本的に9:30-22:30です。ちなみに学費は全て込みで年間約45万円です。また寮代は月に7千500円です。
これは贅沢かというとけしてそうではない。私が24歳のころ通っていた新劇系老舗劇団の養成所が安い方で年間40万だった。授業は週6日だけれど、夜3時間半のみだったので、1日12時間授業があるロシアの学校は日本の新劇養成所4分の1の学費なのです。しかも寮代は7千5百円で高熱水道ガス代込みです。おそらくロシアの演劇学校は生活費も考えると東京の新劇養成所の7分の1程度の値段なのではないだろうか。これは贅沢どころかかなり安価な値段だと言える。
といっても語学習得や生活の慣れ等を考えると留学は命がけです。現在私も舞台演出をロシアと欧州で必死で学んでいます。しかし全ての事務手続き(学校のスタッフや芸術監督・演出家との交渉ごと)も自分でこなしているのでかなり語学力、交渉力、忍耐が必要とされます。これは複雑すぎて言葉では書けない。演出や演技の秘密と同じことのような気がする。欧州での劇場での研修は並大抵の交渉力では実現できない。まして語学力が低くては話にならない。残念ながら、相手と同じかそれ以上の英語や他の言語の能力が必要です。こればかりは努力するしかない気がする。
最近かなり憂鬱な気分が続いていたのであまり劇場通いはできていない。ペテルブルグの冬は暗く寒いのでそれが原因かもしれない。ロシア人の友達と会って話すことでだいぶ癒されているような気がする。この出会いを運命に感謝したい。ありがとう!!!
しかし、最近ヴァレリー・ゲルギエフ指揮のドヴィッシー作『ペレアスとメリザンド』をマリンスキー・コンサートホールで聞いた。このオペラは滅多に上演されないので、初めて聞いたがとても感銘を受けた。いつか演出したいオペラである。ちなみにスタニスラフスキーも晩年はオペラの演出に集中していたようだ。オペラは演劇より幅広い観客を呼ぶことができる可能性がある。
私が受けている科目は、舞台演出、舞台演技、発声、ダンス、舞台動作、アクロバット、声楽、ロシア語です。授業は週6日で基本的に9:30-22:30です。ちなみに学費は全て込みで年間約45万円です。また寮代は月に7千500円です。
これは贅沢かというとけしてそうではない。私が24歳のころ通っていた新劇系老舗劇団の養成所が安い方で年間40万だった。授業は週6日だけれど、夜3時間半のみだったので、1日12時間授業があるロシアの学校は日本の新劇養成所4分の1の学費なのです。しかも寮代は7千5百円で高熱水道ガス代込みです。おそらくロシアの演劇学校は生活費も考えると東京の新劇養成所の7分の1程度の値段なのではないだろうか。これは贅沢どころかかなり安価な値段だと言える。
といっても語学習得や生活の慣れ等を考えると留学は命がけです。現在私も舞台演出をロシアと欧州で必死で学んでいます。しかし全ての事務手続き(学校のスタッフや芸術監督・演出家との交渉ごと)も自分でこなしているのでかなり語学力、交渉力、忍耐が必要とされます。これは複雑すぎて言葉では書けない。演出や演技の秘密と同じことのような気がする。欧州での劇場での研修は並大抵の交渉力では実現できない。まして語学力が低くては話にならない。残念ながら、相手と同じかそれ以上の英語や他の言語の能力が必要です。こればかりは努力するしかない気がする。
最近かなり憂鬱な気分が続いていたのであまり劇場通いはできていない。ペテルブルグの冬は暗く寒いのでそれが原因かもしれない。ロシア人の友達と会って話すことでだいぶ癒されているような気がする。この出会いを運命に感謝したい。ありがとう!!!
しかし、最近ヴァレリー・ゲルギエフ指揮のドヴィッシー作『ペレアスとメリザンド』をマリンスキー・コンサートホールで聞いた。このオペラは滅多に上演されないので、初めて聞いたがとても感銘を受けた。いつか演出したいオペラである。ちなみにスタニスラフスキーも晩年はオペラの演出に集中していたようだ。オペラは演劇より幅広い観客を呼ぶことができる可能性がある。
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3月11日に発生した大地震により、亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご家族の方に心からお見舞い申し上げます。
日本で大地震が起こったので、ロシアの知人から日本の家族は大丈夫かとよく聞かれます。ロシア人の心の温かさを感じる日々です。私の家族は福岡に住んでいるので特に問題は無かったのですが、東北に住んでいる知人の安否が解らないので私も心配しています。
ペテルブルグは現在、0度です。日本では0度は寒いですが、ペテルブルグに住んでいると、0度はとても温かい気温なので「あぁ春だな」と春を実感します。
さて演劇学校の授業は、バレエ、発声、アクロバット、舞台動作、演技に2学期から声楽が加わりました。
声楽の授業では基本的な発声訓練とロシアの民謡みたいな曲を歌っています。私は2学期の途中から声楽の授業に出席し始めたので、まだこの民謡の歌詞をノートに書き写せていません。はやく友達に頼んで書いてもらわないと・・・。まだ、人が謡っている言葉をノートに完璧に書き写せるほどロシア語が完璧ではないからです。
さて、肝心の演技の授業では、1学期では以前ここに紹介した日常で自分が体験したり、観たりしたことを再現するエチュードに取り組んできました。2学期からは小説を読んで、その中から自分が体験したことのように、舞台上で再現した時に自分が生きることのできる場面を小説から選んで演じるというエチュードの課題に取り組んでいます。課題の小説は以下のものです:
①20世紀の小説で何らかの形で戦争と関係があるもの。できればロシアの小説がのぞましい。
②ショーロホフ作『静かなドン』
③ドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』
④ドストエフスキー作『罪と罰』
⑤トルストイ作『戦争と平和』
①と④以外はすべて文庫本で5巻以上あるような大作なので読むだけでも大変です。
エチュードを演じる際に重要なことは自分が役を演じるのではなく、「もし自分がこの登場人物と同じ状況だったらどう行動するか考えて場面を生きること」です。つまり自分として場面の中で生きることが大切なのです。
条件は一人でなく二人以上の場面を演じることです。
注)エチュードとはフランス語の étudierから由来する言葉です。étudierの意味は「勉強する」、「練習する」等があります。つまりエチュードとは場面を学ぶという意味なのです。
現在行っている演技の課題であるエチュードは最低でも2年程は続くであろう課題なので、私もまだ言語による分析が追いついていない状況です。また言語化出来次第少しづつこのエチュードの課題についてはお伝えしたいと思います。
皆様、地震の被害で本当に大変な方もいらっしゃると思いますが、なんとか生きてください。私も日本にはいませんが地震で被害にあわれたかたの援助のために出来るだけのことはする所存です。
では今後もよろしくお願いします。
日本で大地震が起こったので、ロシアの知人から日本の家族は大丈夫かとよく聞かれます。ロシア人の心の温かさを感じる日々です。私の家族は福岡に住んでいるので特に問題は無かったのですが、東北に住んでいる知人の安否が解らないので私も心配しています。
ペテルブルグは現在、0度です。日本では0度は寒いですが、ペテルブルグに住んでいると、0度はとても温かい気温なので「あぁ春だな」と春を実感します。
さて演劇学校の授業は、バレエ、発声、アクロバット、舞台動作、演技に2学期から声楽が加わりました。
声楽の授業では基本的な発声訓練とロシアの民謡みたいな曲を歌っています。私は2学期の途中から声楽の授業に出席し始めたので、まだこの民謡の歌詞をノートに書き写せていません。はやく友達に頼んで書いてもらわないと・・・。まだ、人が謡っている言葉をノートに完璧に書き写せるほどロシア語が完璧ではないからです。
さて、肝心の演技の授業では、1学期では以前ここに紹介した日常で自分が体験したり、観たりしたことを再現するエチュードに取り組んできました。2学期からは小説を読んで、その中から自分が体験したことのように、舞台上で再現した時に自分が生きることのできる場面を小説から選んで演じるというエチュードの課題に取り組んでいます。課題の小説は以下のものです:
①20世紀の小説で何らかの形で戦争と関係があるもの。できればロシアの小説がのぞましい。
②ショーロホフ作『静かなドン』
③ドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』
④ドストエフスキー作『罪と罰』
⑤トルストイ作『戦争と平和』
①と④以外はすべて文庫本で5巻以上あるような大作なので読むだけでも大変です。
エチュードを演じる際に重要なことは自分が役を演じるのではなく、「もし自分がこの登場人物と同じ状況だったらどう行動するか考えて場面を生きること」です。つまり自分として場面の中で生きることが大切なのです。
条件は一人でなく二人以上の場面を演じることです。
注)エチュードとはフランス語の étudierから由来する言葉です。étudierの意味は「勉強する」、「練習する」等があります。つまりエチュードとは場面を学ぶという意味なのです。
現在行っている演技の課題であるエチュードは最低でも2年程は続くであろう課題なので、私もまだ言語による分析が追いついていない状況です。また言語化出来次第少しづつこのエチュードの課題についてはお伝えしたいと思います。
皆様、地震の被害で本当に大変な方もいらっしゃると思いますが、なんとか生きてください。私も日本にはいませんが地震で被害にあわれたかたの援助のために出来るだけのことはする所存です。
では今後もよろしくお願いします。
ペテルブルグは現在マイナス6℃です。雪が50センチぐらい積っていて、もし雪かきのサービスがなければ外を歩くことはできません。ロシアの公共サービスに感謝の気持ちを持たなければと思う日々です。
前回の更新から1カ月以上たってしまい。読んでいただいている皆様には大変ご迷惑をおかけしました。これからも是非ご愛読いただければ幸いです。
さて、あいかわらず朝9時半か11時から夜10時半まで、月から金の週6日のアカデミーの生活は続いています。おまけに日曜日は舞台を観にいったり友達のクラシックコンサートに行ったりで、本当に11月は更新できませんでした。
今日紹介しようと思っていることは身体行動・身体感覚の記憶の訓練です。たとえばマイナス30度の屋外から暖炉がある部屋に帰ってきて、その後何かを探して出ていくという練習があります。俳優はどこから来たのか、何のためにここに帰ってきたのか、これからどこへ行くのか自分で決めることができます。また、寒い屋外から帰ってきたのだからその感覚が残っていなければならないし、何か心配なことや嬉しいことがあればその感覚が身体に残っていなければなりません。たとえば人はある強い心理的な不安があると呼吸や行動が普段と変わってくるといったことです。この身体的行動・身体感覚の記憶の訓練はスタニスラフスキー・システムの基本的訓練として最も大切なことの一つです。なぜなら、身体行動・身体感覚の記憶が俳優と観客が劇的体験を共有する入口になるからです。
現在、演技の訓練ではエチュードにしても身体行動・身体感覚の記憶の訓練にしても、俳優がどこから来たのか、、何のためにここに居るのか、そしてこれからどこへ行くのかという課題を意識しておくことが重要です。この課題をマスターや助手が口にするたびに、ゴーギャンの絵画:
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』(仏: D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?を思いだす。
最近観て印象に残った舞台は:
①チェーホフ作『33回の失神』オムスク国立第五劇場オレグ・ユーモフ演出、チェーホフ生誕150周年全ロシア演劇フェスティバル対決、バルトの家劇場
②チェーホフ作『かもめ。解釈の実験』ベラルーシ国立人形劇場(ミンスク)、アレクセイ・レリヤフスキー演出、チェーホフ生誕150周年全ロシア演劇フェスティバル対決、バルトの家劇場
③チェーホフ作『三人姉妹』大きくないドラマ劇場(ぺテルブルグ)、レフ・エレンブルグ演出、チェーホフ生誕150周年全ロシア演劇フェスティバル対決、バルトの家劇場
①はロシアの地方都市の演劇水準の高さを再確認させてくれた。
②は4幕のトレープレブとニーナの場面の前に他の役がすべて人間に戻って演じられ、トレープレブとニーナの場面のみが人形によって演じられた。人形劇が俳優の演技を昇華して孤高の水準にまでいくことを思い知らされた。
③は私の気になる演出家による舞台。オーリャとベルシーニン、イリーナやマーシャの役作りに大きな発見があった。
前回の更新から1カ月以上たってしまい。読んでいただいている皆様には大変ご迷惑をおかけしました。これからも是非ご愛読いただければ幸いです。
さて、あいかわらず朝9時半か11時から夜10時半まで、月から金の週6日のアカデミーの生活は続いています。おまけに日曜日は舞台を観にいったり友達のクラシックコンサートに行ったりで、本当に11月は更新できませんでした。
今日紹介しようと思っていることは身体行動・身体感覚の記憶の訓練です。たとえばマイナス30度の屋外から暖炉がある部屋に帰ってきて、その後何かを探して出ていくという練習があります。俳優はどこから来たのか、何のためにここに帰ってきたのか、これからどこへ行くのか自分で決めることができます。また、寒い屋外から帰ってきたのだからその感覚が残っていなければならないし、何か心配なことや嬉しいことがあればその感覚が身体に残っていなければなりません。たとえば人はある強い心理的な不安があると呼吸や行動が普段と変わってくるといったことです。この身体的行動・身体感覚の記憶の訓練はスタニスラフスキー・システムの基本的訓練として最も大切なことの一つです。なぜなら、身体行動・身体感覚の記憶が俳優と観客が劇的体験を共有する入口になるからです。
現在、演技の訓練ではエチュードにしても身体行動・身体感覚の記憶の訓練にしても、俳優がどこから来たのか、、何のためにここに居るのか、そしてこれからどこへ行くのかという課題を意識しておくことが重要です。この課題をマスターや助手が口にするたびに、ゴーギャンの絵画:
『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』(仏: D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?を思いだす。
最近観て印象に残った舞台は:
①チェーホフ作『33回の失神』オムスク国立第五劇場オレグ・ユーモフ演出、チェーホフ生誕150周年全ロシア演劇フェスティバル対決、バルトの家劇場
②チェーホフ作『かもめ。解釈の実験』ベラルーシ国立人形劇場(ミンスク)、アレクセイ・レリヤフスキー演出、チェーホフ生誕150周年全ロシア演劇フェスティバル対決、バルトの家劇場
③チェーホフ作『三人姉妹』大きくないドラマ劇場(ぺテルブルグ)、レフ・エレンブルグ演出、チェーホフ生誕150周年全ロシア演劇フェスティバル対決、バルトの家劇場
①はロシアの地方都市の演劇水準の高さを再確認させてくれた。
②は4幕のトレープレブとニーナの場面の前に他の役がすべて人間に戻って演じられ、トレープレブとニーナの場面のみが人形によって演じられた。人形劇が俳優の演技を昇華して孤高の水準にまでいくことを思い知らされた。
③は私の気になる演出家による舞台。オーリャとベルシーニン、イリーナやマーシャの役作りに大きな発見があった。
ぺテルブルグの現在の最高気温は8度、最低気温は1度です。今日はずいぶん暖かいですが、数日前には雪が降っていました。
このブログは一応週一回更新を目指しています。しかし、この3週間は日曜日に、観劇やペテルブルグ日本センターで日本語を学ぶ学生との交流会があり、更新できませんでした。ペテルブルグ生活2年目に入っての9月・10月はアカデミーの授業が忙しく、舞台はあまり見ていませんが、以下のような作品を観劇できました。
1)『ワーニャ伯父さん』チェーホフ作、レフ・ドージン演出、ペテルブルグ・マールイ・ドラマ劇場
2)『オセロ』シェイクスピア作、エイムンタス・ネクロシウス演出、メノフォルタス劇場、リトアニア
3)『ペルソナ。マリリン』クリスチャン・ルパ作・演出、グスタウ・ホルベク・ドラマ劇場、ポーランド
4)『メディア』ジャン・アヌイ、ルシアス・セネカ、ジョセフ・ボロドスキー作、カマ・ギンカス演出、モスクワ青年劇場、モスクワ
5)『太陽の子』ゴーリキー作、リュック・ペルセバル演出、ターリア劇場、ハンブルグ、ドイツ
6)『人生と運命』ヴァシリー・グロスマン作、レフ・ドージン演出、ペテルブルグ・マールイ・ドラマ劇場
7)『3人姉妹』チェーホフ作、レフ・ドージン演出、ペテルブルグ・マールイ・ドラマ劇場
ちなみに、ぺテルブルグ以外の都市から来た舞台は、9月から10月にかけて行われた、バルトの家演劇祭で見ました。このバルトの家演劇祭はぺテルブルグのバルトの家劇場で毎年秋に行われる演劇祭です。ペテルブルグは演劇祭が1年を通うしてかなり多いですが、バルトの家演劇祭が最も国際的水準の高い演劇祭です。今年も世界最高の水準にある舞台をいくつも見ることができて良かったです。このような演劇祭の作品を見ると、ペテルブルグは世界を代表する演劇都市の一つだなと実感させられます。しかし、個人的にはぺテルブルグ・マールイドラマ劇場の作品の方が演劇祭の作品より質が高い気がする。
アカデミーの授業はいろんなことがあったけれど、今日は身体的行動について書きます。ある生徒が演技の授業で、大切な絵を雨の中自宅に持って帰ってきて部屋に飾るというエチュードを見せた。そのあとマスターが雨の中帰ってきたのだから雨に打たれた身体の感覚が帰宅しても残っていなければならないと言った。そこで、マスターの指示である状況の中帰ってくるというエチュードを3人の生徒が発表した。
①誰かに追われている女
②ファースト・キスを経験した女
③大事な本を持って帰ってきたが、土砂降りにあった男
というのが、帰ってきたときに感じる身体行動のエチュードだった、これらの状況をあたえられた生徒がその状況を知らない生徒たちの前で演じて、観客である生徒は状況をあてるという訓練だった。このエチュードを見て感じたことは具体的な状況を与えられると舞台上での身体行動が変わってくるということである。マスターが行っていたことは常に状況に応じた身体行動を俳優は表現できなければならいということだった。
このブログは一応週一回更新を目指しています。しかし、この3週間は日曜日に、観劇やペテルブルグ日本センターで日本語を学ぶ学生との交流会があり、更新できませんでした。ペテルブルグ生活2年目に入っての9月・10月はアカデミーの授業が忙しく、舞台はあまり見ていませんが、以下のような作品を観劇できました。
1)『ワーニャ伯父さん』チェーホフ作、レフ・ドージン演出、ペテルブルグ・マールイ・ドラマ劇場
2)『オセロ』シェイクスピア作、エイムンタス・ネクロシウス演出、メノフォルタス劇場、リトアニア
3)『ペルソナ。マリリン』クリスチャン・ルパ作・演出、グスタウ・ホルベク・ドラマ劇場、ポーランド
4)『メディア』ジャン・アヌイ、ルシアス・セネカ、ジョセフ・ボロドスキー作、カマ・ギンカス演出、モスクワ青年劇場、モスクワ
5)『太陽の子』ゴーリキー作、リュック・ペルセバル演出、ターリア劇場、ハンブルグ、ドイツ
6)『人生と運命』ヴァシリー・グロスマン作、レフ・ドージン演出、ペテルブルグ・マールイ・ドラマ劇場
7)『3人姉妹』チェーホフ作、レフ・ドージン演出、ペテルブルグ・マールイ・ドラマ劇場
ちなみに、ぺテルブルグ以外の都市から来た舞台は、9月から10月にかけて行われた、バルトの家演劇祭で見ました。このバルトの家演劇祭はぺテルブルグのバルトの家劇場で毎年秋に行われる演劇祭です。ペテルブルグは演劇祭が1年を通うしてかなり多いですが、バルトの家演劇祭が最も国際的水準の高い演劇祭です。今年も世界最高の水準にある舞台をいくつも見ることができて良かったです。このような演劇祭の作品を見ると、ペテルブルグは世界を代表する演劇都市の一つだなと実感させられます。しかし、個人的にはぺテルブルグ・マールイドラマ劇場の作品の方が演劇祭の作品より質が高い気がする。
アカデミーの授業はいろんなことがあったけれど、今日は身体的行動について書きます。ある生徒が演技の授業で、大切な絵を雨の中自宅に持って帰ってきて部屋に飾るというエチュードを見せた。そのあとマスターが雨の中帰ってきたのだから雨に打たれた身体の感覚が帰宅しても残っていなければならないと言った。そこで、マスターの指示である状況の中帰ってくるというエチュードを3人の生徒が発表した。
①誰かに追われている女
②ファースト・キスを経験した女
③大事な本を持って帰ってきたが、土砂降りにあった男
というのが、帰ってきたときに感じる身体行動のエチュードだった、これらの状況をあたえられた生徒がその状況を知らない生徒たちの前で演じて、観客である生徒は状況をあてるという訓練だった。このエチュードを見て感じたことは具体的な状況を与えられると舞台上での身体行動が変わってくるということである。マスターが行っていたことは常に状況に応じた身体行動を俳優は表現できなければならいということだった。
ぺテルブルグは現在14度です。といっても夜は3度にまで下がるので真冬用のコートを着ています。
先週は風邪をひいて1週間アカデミーにあまり行けなかったので、新しい情報を書けません。
先週までの復習までに、演技のクラスのエチュードを振り返ってみます。
現在エチュードの課題は以下の7つです。
①動物の生活
動物を観察しての生活を演じる
②室内での生活
たとえば部屋の中でのアクシデント
③屋外での生活
たとえば屋外での出来事
④人生での最初の経験
自分の人生で初めての経験
⑤子供の生活
子供を観察してその生活を演じる
⑥物の生活
たとえば、目覚まし時計の心理や行動を演じる
⑦自分の生活
自分が朝起きた時の心理的行動など
ざっとこんな感じの7つのエチュードを現在行っている。
これらのエチュードを演じたり準備したりして感じることは、自分の生活に意識てきになることだ。
スタニスラフスキーは人間の生活の順序や論理的一貫性があることを強調しているが、
エチュードについて考えると自分の生活の一貫した行動を意識するようになる。
むしろエチュードが、無対象行動の面でうまくできたかどうかよりも「自分の生活を点検すること」が大事だということだろう。
ただし。①の動物の生活は自分の生活を点検することにはならないでわないかと言うひともいるだろう。
動物の生活を演じるのは自分の中の自然を学ぶためだろう。
自分の中の自然に聞くためには、本当の自然を観察して自然と自分の関係を知ることが必要なのだ。
スタニスラフスキーは「自然は芸術の母」と言っている。
ただし、自然を観察して動物を演じるという趣旨からすれば、動物園の動物ではなく、自然の中の動物を観察しまければ意味がないというのが私の解釈である・・・。
先週は風邪をひいて1週間アカデミーにあまり行けなかったので、新しい情報を書けません。
先週までの復習までに、演技のクラスのエチュードを振り返ってみます。
現在エチュードの課題は以下の7つです。
①動物の生活
動物を観察しての生活を演じる
②室内での生活
たとえば部屋の中でのアクシデント
③屋外での生活
たとえば屋外での出来事
④人生での最初の経験
自分の人生で初めての経験
⑤子供の生活
子供を観察してその生活を演じる
⑥物の生活
たとえば、目覚まし時計の心理や行動を演じる
⑦自分の生活
自分が朝起きた時の心理的行動など
ざっとこんな感じの7つのエチュードを現在行っている。
これらのエチュードを演じたり準備したりして感じることは、自分の生活に意識てきになることだ。
スタニスラフスキーは人間の生活の順序や論理的一貫性があることを強調しているが、
エチュードについて考えると自分の生活の一貫した行動を意識するようになる。
むしろエチュードが、無対象行動の面でうまくできたかどうかよりも「自分の生活を点検すること」が大事だということだろう。
ただし。①の動物の生活は自分の生活を点検することにはならないでわないかと言うひともいるだろう。
動物の生活を演じるのは自分の中の自然を学ぶためだろう。
自分の中の自然に聞くためには、本当の自然を観察して自然と自分の関係を知ることが必要なのだ。
スタニスラフスキーは「自然は芸術の母」と言っている。
ただし、自然を観察して動物を演じるという趣旨からすれば、動物園の動物ではなく、自然の中の動物を観察しまければ意味がないというのが私の解釈である・・・。